一心行の大桜を見てから普通の桜が印象に残らなくなってしまった九州の旅記録


一心行の大桜をご存知でしょうか?
九州の南阿蘇にある桜の木です。
私が実際に目にしたのはもう10年以上前になります。
ですが、あの桜を見てからは他の桜の木を見ても特に印象に残らなくなってしまった。
私が体験した若かりし頃の無謀な九州の旅と、
自然と引き寄せられた不思議なお花見体験をご紹介します。

無謀な挑戦で挑んだ九州の旅


20歳の時に運転免許を取得し、友達も同時期に取得。
まだ初心者マークがお互い必要な時期にも関わらず、車で九州に行く事にしたのです。
私は兵庫県に住んでいたので、往復するとかなりの距離になります。

二人とも初心者だし、遠出も経験した事ないし、高速道路も教習以外で走ったことない。
もう10年以上前になりますが、今でも友達とはよくあんな無謀な挑戦が出来たもんだと笑い合います。

二人とも典型的なO型で、計画もなく、ホテルも予約せず、
その当時は当然スマホもないので、九州の旅行雑誌だけを購入し、
本当に何の計画もなく出発。

目的は以下の3つだけ。

・途中の広島で広島焼きを食べる
・阿蘇を見に行く
・長崎に行く

この3つだけは決めていました。決めていたと言っても行き方や何があるのか調べず、
ただ「行ってみたい」という理由だけ。若いって素晴らしい。

高速道路も何処で降りていいか分からず、とりあえず「広島」と書かれた場所で降りた。
当時はカーナビもなかったし、手元にあるのは九州の地図だけ。
高速から降りて中心地っぽい場所を目指して走った。

すると突然現れる路面電車。もうビビりまくりです。
路面電車がある場所の走り方なんて教習所で習っただけで実際に目にした事がない。
広島に路面電車が走っているなんて想定外だった。

中心地に着いても道が分からず、なんだか普通の住宅地の中に入ってきてしまった。
もうこうなると頼るのは地元の人だけです。
ちょっと笑われてしまったが、優しい方に遭遇し、丁寧に道を教えて頂いて何とか食べれた。
始めての広島焼きは想像を遥かに超えるキャベツの多さでびっくり。

味は最高に美味しく、今でも広島焼きが大好き。
でも広島の方は「広島焼き」って言わないんですよね。
広島焼きって言うと怒られるとかなんとか。

きた道を戻り、目指すは九州。どれぐらいの距離で時間が必要かは途中のサービスエリアで確認しながら、運転を交代しながら、途中経験した事がないような大雨の洗礼を受け。
本州と九州を結ぶ橋を超えたのが19時前ぐらいで以外にも順調。

あまりにも順調だったので、福岡でラーメンを食べることに。

またまた道が分からないので、福岡駅を目指してただ走る。
以外にもあっさり到着し、福岡駅のパーキングに停めてラーメン屋へ。
噂で聞いていたが、こってりだけど本当に美味しかった。
そして駅周辺で歌っているミュージシャンのレベルが凄く高い。下手な人が全くいない。

そんなこんなしているうちに20時を過ぎているので、
阿蘇を目指さなくてはという事で車に戻る。

その前に1人でトイレに行ったら、何と中には大勢の人がいる。
え?ってちょっとビックリしたが、そこは若さの勢いというか、何も考えていないというか、
普通に用を済まして出てきたが、今考えると、そういう場所だったのか、と怖くなった。

車に戻ると

「今日どこに宿泊する?」

やっとこの会話である。二人の頭の中にあるのは阿蘇に行くということだけ。
宿泊のホテルなんて全く考えていないし、ましてや予約が必要なんて頭にもない。

「とりあえず高速走って疲れたらインターで休めばいいんじゃね?」
「そうやな。よっしゃ!行くで阿蘇!!」

改めて思い出しても本当に馬鹿だ。

23時ぐらいまで走り、途中のインターで夜食を食べてあとは寝た。

目覚めたのは早朝6時ぐらい。快適な目覚めではない。
寒すぎて目覚めたのだ。3月中旬で季節は春。

もしタイムマシーンがあれば、あの頃の自分に
車の中で寝るのは全然いいし、ホテルの宿泊を考えてないのもいい。
だけど、毛布ぐらいは車につんでおけ!って言ってやりたい。

阿蘇に広がる雄大さと水の美味しさに感動


朝食も早々に済ませ、阿蘇を目指してひた走った。
お昼ごろには難なく阿蘇のふもとへと到着。
阿蘇山は本当に雄大で、自分がいかに小さな存在かを思い知らされた。
有名なカルデラにて馬刺しを食べ、馬が歩いている事に感動し、
火口付近へと車を走らせた。そこで妙なお土産を買ってしまう。

硫黄の塊と硫黄の粉

友達はいらないって言って買わなかったが、
私は旅の想い出というか、勢いというか、若さというか、

「だってあの火山から出てきたって凄くない?」

と意味が分からない理由で盛り上がって購入。

旅のお土産の大半は家に帰ってきて一ヶ月もすれば冷静になって後悔する。
私も後悔した。硫黄の塊は何年後かに母親に頼んで処分してもらった。

が、粉の方は未だにタッパの中に入って存在する(笑)

このブログを読んで頂いている方なら分かると思うが、
私は大掃除を決行し、身軽になった。部屋も綺麗になった。
大掃除を実行した時に机の引き出しの底の方から謎の粉が出てきたのだ。
そして記憶は鮮明に蘇り、ニヤリと笑ってしまった。

昔は母親に処分を頼めたが、今や大人である。
頭に浮かんだのは、「燃えるゴミ?不燃物?なに?」である。
ゴミ処理場に電話してみると、

「お土産ですよね?個人で所有しているぐらいの量であれば燃えるゴミに出して頂いて大丈夫です」

と言われたが、自分が持っている量を見て未だに捨てられずにいる。
それがこの画像。


分かって頂けますか?この量。ライターと比べてタッパーの大きさと厚み。
布の袋に硫黄の粉を入れてお風呂に浮かべると温泉みたいで、
体にも良いし健康になれる。っていうような感じで言われて購入。
旅先でよくあるパターンな感じです。
最初は試してみたけど、面倒だし直ぐに飽きるし、三日坊主。

今年中にはどうにかしたい。
何人もの人が購入していたので、全国で同じ思いをしている人が大勢いると想像すると、
少しまた笑ってしまった。

正午を過ぎた頃にはさすがに昨日の失敗を思い出したのか、
旅行雑誌を片手に今日は何処に宿泊するか相談した。
ペンションに泊まってみたいという二人の思いが合致し、
雑誌に載っているペンション系のホテルに電話をする。

「本日は全て予約で埋まっていまして。申し訳ないです」

3月の中旬で春休み。

予約無しで宿泊出来る場所があれば逆に教えてほしいと今なら思う。

電話をして始めて現実を思い知る二人だが、
偶然か必然か何十件目かに電話したペンションに奇跡的にツインの部屋が空いていた。

場所もそう遠くないし、値段も安い。

到着すると何とも優しそうなおじさんが出迎えてくれた。
まず言われたのが、「初心者マーク付けて来る人も珍しい」である。
しかも兵庫から来たというと更に驚かれた。

絵本に登場するようなペンションで、夜はバーベキュー、それまでの時間は自由に過ごして下さいと言われた。部屋に案内されると、ベッドが2つあり、テレビもなく、何もない。
だけどそれが良かった。本当に絵本の世界に入ったかのような感動を味わった。
ペンションの方がボールとグローブを貸してくれ、キャッチボールを二人でしただけ。
静かな山の中でゆっくりと流れる時間の中、夕日を眺めてキャッチボールしただけ。
幸せってそういう場所にあるんだと今でも思う。

日が暮れてペンションに戻るとリビングのような場所で子供たちが遊んでいた。
何処に住んでいるからも分からないし、名前も知らないけど、
普通に会話が進み、親御さんとも話し、何だか分からなけど貴重な体験だったように思う。

バーベキューは炭火で行い、知らない家族の人や子供と一緒に楽しんだ。
今まで味わった事がない感覚で、食べた事がないような美味しさ。
やはり幸せはそんな場所にあるんだと今でも思う。

夕食後は近くの温泉まで歩いて行き、ベッドの上に横たわった瞬間に眠りにつた。

前日の車で寝たのとは比べられないほど気持ちがいい目覚め。

リビングで朝食を摂る時に、ペンションのおじさんと様々な話をした。
無計画に兵庫から来たこと、阿蘇に行くこと、長崎に行くこと、広島焼きを食べたこと。

最後にコーヒーを出して頂いた時におじさんが

阿蘇でのごちそうは水です。1番美味しいのは水です。」
「その水で入れたコーヒは最高だよ」

笑いそうになったが、おじさんがあまりにも真剣な表情なので、真剣にコーヒーを味わった。

「何これ?」

今までに体験した事がないような、アニメで主人公が目をまん丸くして驚く表情。
正にそのまんま。鳥肌が立つような味わい。

「熊本県は蛇口をひねると地下水が出てくるんだよ」

すぐさま蛇口から出てくる水を飲ませて頂いた。

「何これ?」

水が何よりも美味しいという表現は何も間違っていない。
口に含んだ瞬間から体の隅々、細胞の隅々まで何かが広がっていく感覚。
普通なら年齢を重ねてやっと気づけるような事だが、若い時に水が何よりも美味しいという体験が出来たのは本当にラッキーだった。水が美味しい場所は何を食べても飲んでも美味し。

純粋でいれば誰かが導いてくれる


あまりにも水の美味しさに感動していた私を見ておじさんが

「今日の予定は決まっているの?何も決まっていないのなら水源と一心行の桜を見に行きなさい」と言った。見に行ったらどう?ではなく、見に行きなさい。と言った。

熊本県には多くの湧き水があり、阿蘇は地下水で有名とのこと。

もう十年以上前の話だけど、今でもすぐに名前が思い出せる。

白川水源」と「一心行の大桜

何やらどちらも有名らしく、一心行の大桜には毎年全国各地から足を運ぶ方が大勢いるそうだ。しかし私達は20歳の若造で、桜に特に感心はなかったし、桜はどれも大体同じだと思っていた。湧き水には興味があったので最初に白川水源へと車を走らせた。

地下水を間近で見た事があるでしょうか?

白川水源は池みたいな場所で、地下から水が何万トンと湧き上がっている場所です。
何度も水の透明は見た事があるが、白川水源のような透明は今でもあれ以来みた事がない。
どう表現していいか分からないが、
今まで自分が知っている水の透明がハイビジョンであれば、
白川水源の透明は4Kといったぐらいに違った。
うまく表現出来ないのだが、絶対にこういう場所は守る必要があると思った。
味が美味しいとかではなく、
先ほども書いたが体の隅々まで細胞の隅々まで染みわたる不思議な感覚

これは湧き水全てがこういう感覚になるのではなく、
恐らくだが自分の体質と合った水に出会うとこういう感覚になる。
白川水源と同じような感覚になったのが、奈良県の奥地にある天川村の湧き水。
天川村へは毎年行っているが、この場所は本当に凄い。
またブログで詳しく書こうと思うが、神の存在を信じていない人でも何かを感じてしまう。
天川村の湧き水も白川水源の水も通販でも購入が可能。

でも私がお勧めするのは実際に足を運び、その場の空気を感じながら飲む水のおいしいさ。
実際に足を運んでみないと体験出来ない不思議な感覚だが、
天川村は「呼ばれないと行けない場所」という事でも有名で、もしこのブログを読んで行ってみたいと思った方は、天川村に呼ばれているのかもしれません。

一心行の大桜は人生で一度見ておきたい


先ほど記載した白川水源と一心行の大桜の場所は近く、車で15分ぐらいの場所にある。

私の両親も旅行で一心行の大桜を見に行ったが、桜の開花時期に合わせて行っても満開は目に出来なかったそうだ。前日が雨だったり、数日のずれが大きく影響する。

が、たまたま何の計画もなくただ「阿蘇に行ってみたい」と思った私達が目にしたのは満開の大桜だった。世の中は自分に純粋であれば様々な出会いを呼び寄せてくれる。大人になれば計画的になり、無駄を省いて行動してしまうので感動は薄れるし、奇跡的な瞬間にもなかなか巡り合えない。そういう意味では若い頃の勢いで行く旅行は本当に貴重な体験になる。

この一心行の大桜を見に行く時のコツとしては、歩く事を恐れずに早く車を停めるです。

道は細く、私が行った時は片側一車線でした。ですので、渋滞は絶対です。
どこからこんなに沢山の車が集まるのか?というほどに渋滞し、全く車は進みません。大桜が近くなるにつれ、空き地の駐車場は待ち時間が長くなります。ですので歩けると判断した場所からは自力で歩いて行く事をお勧めします。その方が確実に大桜を早く目にする事が出来ます。

一心行の大桜を目にした時に私はカッコイイ!と思いました。
20歳らしい感想ですが、まさしくカッコイイのです。

周りには菜の花畑が広がり、真ん中に一本の桜の木があります。
周りに桜の木が沢山ある場所は全国に多くありますが、一心行の大桜は周りに何もなく、一本の桜の木が立っているだけなのです。そしてその大きさが半端ない。
菜の花畑の黄色に桜の木のピンクの花火が打ち上がっているような感じです。
本当に一本の木なのか?と疑うほど圧倒的な存在感と、雄大さ。
その当時の画像が以下です。プリントした写真を撮影したので画質が悪いです。


人の小ささと比較していかに一心行の大桜が大きいか分かるかと思いますが、
実際はこの画像よりもっと大きく感じられます。

長崎ちゃんぽんと帰りの会話の少なさと辛さ


熊本を15時過ぎ頃に出発し、長崎に到着したのが18時頃。
さすがに都会とあって宿泊先に迷いはなかった。
中心街を車で走るといくつもビジネスホテルがあり、部屋数も多い。
特にどこに行くかは決めていなかったが、
ホテルの駐車場へ車を預け、路面電車の旅をする事にした。

端から端までを移動するだけだったが、長崎という街は本当に素晴らしい。
神戸は直ぐに行ける距離なのだが、個人的には神戸よりも長崎の方が好きだ。
何と言っても路面電車が街の雰囲気全てを物語っており、
路面電車がない街に住んでいる人は異世界な雰囲気が楽しめる。

そして夜は長崎ちゃんぽんを食べた。
修学旅行でも一度、長崎には来た事があったが、大人になると街の良さが本当に分かる。
修学旅行で訪れた場所と同じ店で長崎ちゃんぽんを食べたのだが、
やっぱり美味しい。リンガーハットと何が違うのだろうか?と思ってしまう。

夜はホテルに隣接する居酒屋で軽く飲み、旅の想い出などを振り返りながら眠った。

翌朝は長崎でのお土産を購入するために様々なお店へと足を運んだ。
観光地という事もあり、苦労しなくともお土産屋さんは簡単に見つかる。
熊本での硫黄の粉と塊にて失敗したが、
長崎でも全く同じ失敗を繰り返すのである。

ある一件の怪しげな雑貨屋さんに入った時にある物に興味が出てしまった。
インド像が印刷された大きな布。カッコイイ!!値段を見ると4000円と高い。
一度店を出たがどうしても欲しくなり、引き返し、
長崎にまできてインド像がプリントされた大きな布を購入するのです。

当然ながら大掃除をした時に捨てました。

もう意味が分からない。なぜ長崎に行って布を買ったのか、
あれぐらいの衝動は抑えられたはず。旅の勢いというか若さというか。

午前11頃に長崎を出発し、家路を目指すが行きとは全く違い、
どんなに車を走らせても全然進まないような感覚で、本当に辛かった。
やはり人間は一度体験した事は時間の感覚や距離、
危険の予測などが出来るので全く面白くなく、苦痛にしかならない。

会話も少ないまま家路に到着したのが22時頃だっただろうか。
お互いに安堵の表情であり、やり遂げたという達成感で満ち溢れていた。

嗅覚と感覚で楽しめる旅行は最初で最後だったかもしれない


今でもその友達とは旅行に出かけるが、さすがに九州の旅のように全てが感覚で出かける事はなくなった。スマホが登場し、ホテルの宿泊も電話でなくネットで簡単。車にはカーナビが付き、ネットを開けば周辺のお勧めスポットが直ぐに分かる。予定調和になる。

今と昔を比べるとどちらが良いのか?当然いまの方がいい。

しかし若い時の勢いを発揮するにはスマホを持たずに旅行に出かけた方がいいだろう。
自分の感覚と嗅覚を頼り、その街で出会った人々に助けを求める。
下調べもせず、偶然がもたらしてくれる出会いと感動はお金では買えない宝物となり、
人生で壁にぶつかった時、困難な時の知識と経験になって返ってくる。

無謀な挑戦が出来るのは若い時の特権であり才能なのだ。

もう一度九州へ行く時は当然、新幹線を利用するだろうし、阿蘇を散策したければレンタカーを利用するとは思う。大人なのだから。ある程度のお金が使えるのだから。
だけど20歳の勢いで行った九州の楽しさは二度と味わう事が出来ない。もう一度九州に旅行に行ったとしても、あの時と同じ水の美味しさ、一心行の大桜の感動は絶対に味わえないのだ。

それは若いからだけではなく、人にはタイミングという物がある。自分が今行くべき場所、呼ばれている場所というのが存在する。日々の行いが大切なのかもしれないし、気持ち次第なのかもしれない。

しかし大人になっても年齢に関係なく、若い時と同じような感覚で景色を見たり、物を食べたりする方法がある。それは、自分と相性の良い場所を見つけ、大切にする事だ。
その1つの判断基準としてあるのがその土地に流れる水のような気がする。水と相性が合えばその土地で食べるもの、空気、感覚。全てが新鮮に感じる。
相性が良い水を飲んだ時に体全身へと巡る感覚がその土地全てで感じられるようになる。

生きていると大変な事の方が多いが、自分と相性が良い場所を知っているだけで大きな支えとなり、疲れた時に足を運べば子供のように何もかものシガラミから開放され、またゼロの状態からスタートする事が出来る。
今回の記事を書いていて熊本へと足を運んでみたくなった。これも1つのタイミングなのかもしれない。

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